横浜インド文化交流会(YICA)の経緯
〜横浜の歴史風土を活かし市民による国際文化交流と地域の活性化を〜
横浜インド文化交流会(YICA)(横浜市)
事務局長 金子延康
一九九三年、いまからちょうど一〇年前に横浜インド文化交流会(YICA)は発足しました。
横浜は、インドの都市ムンバイ(かつてのボンベイ)と姉妹都市を結んでいますが、インドの都市と姉妹都市を結んでいる政令都市は横浜だけです。また、歴史をひもとけばインド商人がわが国で初めて営業拠点を設けた都市でもあります。
そんなインドと大変ゆかりのある都市なのに、私たちはどうもインドに対しては、欧米の国々や東アジアの国々に比べて、わずかな知識しかありません。ましてや、インドの人々との交流となるとほとんどない。ITや、アーユルベーダ(<説明書き>)など、経済や文化において、インド人の日本進出が増えてきているのにです。
そんな状況の中で、インドの文化や経済をもっと知りたい、インドの人々と話したい、という人々が集まって、この交流会は発足しました。
呼びかけ人は、当時、横浜市役所で地域経済振興を担当していた川股隆さん。彼のもとに、横浜市職員だけでなく、インドとの貿易商、美大の学生、デザイナー、音楽家、研究者などが集まり、会の発起人として名を連ねました(私もその一人です)。そこにはインドに関心をもつということだけを共通項とした、実にさまざまな顔ぶれがありました。
メンバーたちはまず、小俣健さんのお宅に集まりました。小俣さんは横浜の中区にある保育園の園長先生で、大変温厚な方。アジアとりわけ南アジアの国々が好きで多くの渡航経験もあり、自宅には、アジアのさまざまな国々の楽器や、調度品が並べられています。
インド好きにはたまらないそんなお宅で、メンバーが最初に取りかかったのは会の規約づくりでした。交流会にかける私たちの思いを言葉にして、市民レベルでの国際理解と国際協力、とりわけ市民レベルの文化交流を、会の目的としました。こうして一〇年前の秋にYICAは発足。会長はもちろん、小俣さんにお願いしました。
交流会では、まずインドの経済と文化を知ろうと、インド経済・文化セミナーを開催することとしました。横浜には横浜市立大学がありますが、ちょうど大学(市が?)が、生涯教育や、地域に根ざした教育を始めた年でもあり、提案者の川股さんの労により、セミナーが実現しました。
講師は、インド経済の研究者、インドとの貿易商、アジア史の専門家など、横浜周辺に住むインド専門家にお願いすることにしたのですが、この時、横浜周辺にはインドの経済・文化の専門家が大勢在住していることがわかりました。
また、セミナーを開いてみると予想を大きく上回る応募があり、市民のインドへの関心が高いこともわかりました。セミナー終了後の懇親会では、講師と参加者、参加者どうしの熱心な交流があり、そんなセミナーや交流を通して、YICAの輪は徐々に広がっていったのです。
YICAの活動をより活発にしたのは、ミティラー美術館の長谷川時夫館長との出会いでした。
ミティラー美術館とは、新潟市の十日町にあるインド民族絵画の美術館です。廃校を改築した美術館ですが、天井が高いことで、大きな作品の創作と保管にも長じています。しかし、難点が一つ。それは、十日町が名だたる豪雪地域で、冬は美術館も雪で閉ざされてしまうことです。そこで、その間、雪のない横浜で、インド古典美術の展覧会を開いてはどうかとなりました。
ミティラー画や、ワルリー画、ゴンド画など、どれもわが国ではめったに見られないインドの民俗絵画です。横浜でこれまで毎年、つごう八回開催していますが、いつも大変な盛況となります。それは、西洋絵画には見出せない不思議な魅力があるからでしょう。構図も、絵の具も、絵画技法も、西洋絵画とはまったく異なる絵で、描き手の祈りがこちらにひしひしと伝わってくる神秘を感じるのです。
とまあ、このようにしてインドを縁に、横浜市と十日町市との市民による文化交流も始まったのでした。
YICAの文化活動は、市民レベルでの国際文化理解、文化交流を基本としています。ですから、すべての行事を、次のように市民参加による企画実施を基本として行っています。
- インド民族絵画ワークショップ
ミティラー画などの民族画を、インドの描き手と一緒に描くワークショップ。絵の具の作り方から、描き方、などを体験。同時に、絵画の歴史なども学ぶ。
- インド舞踊公演
インドの舞踊団の招聘、公演にあわせて、舞踊のワークショップを開催。日本人によるバラタナティアム(<説明書き>)の講習会も開催。
- インド映画祭
日印合作アニメ「ラーマーヤナ」(<説明書き>)をわが国で初めて上映するなど、映画大国インドの名画を上映。今後、「インド映画祭」横浜開催に繋げていく。
- インド料理教室
会員のインド人のかたを講師として、カレー、サモサなど、インドの簡単な家庭料理が学べる教室を開催。会員の家庭で実施するもの。
地域の活性化には、私の経験から、企業誘致のような地域外からの外部エネルギー導入型と、地域資源の活用など内部エネルギー誘発型、この二つの絶妙な組み合わせが必要であると考えています。
外部エネルギーの導入には、誘致推進本部など、ピラミッド構造の展開が有利であるのに対して、内部エネルギーの誘発には、地域資源の連携など、ネットワーク構造の展開が有利になります。
そして、そのネットワークは、国や地方自治体などの「行政」ではなく、市民や、企業や、NPOなどの「民」が主な担い手となります。
ですから、地域における国際理解活動や交流活動は、まさに地域資源の新しい結合、イノベーションをもたらすものであり、内部エネルギーの誘発による地域の活性化をもたらすものとなるのです。
特に、横浜におけるインド文化交流は地域活性化に与える影響は大きいものと思います。
それは一つに、横浜はインドに関する沢山の資源がある、まさにインドの宝庫だからです。
横浜は、開港から一四四年を迎えますが、開港直後の四年後には、すでにインド人が商売を始めていたという史実があります。インドにとって、横浜が日本で初めての経済拠点だったのです。
また、インドの詩聖で、アジアで初のノーベル文学賞を受賞したタゴールと親交の深かった岡倉天心も、この横浜で生まれ育っています。タゴールが天心を頼って滞在した三渓園や、山下公園の水のみ場、大倉山記念館、などインドにゆかりのある名所、旧跡も多く、さらにインド人商人の活動拠点、インド商協会本部も横浜にあります。
二つ目の理由はインド文化そのものの性質にあります。インドの思想は、協同・連携を基本としています。このためか、どうやらインド文化交流会の参加者には、地域資源の連携と、それによる地域の活性化への意識が強い人が多いように思います。
横浜インド文化交流会のこれまでの主な活動内容を掲げると、表のとおりとなります。こうして大きなイベントだけ取り上げてみても、イベントを催行するまでの苦労、講演でインドから招いた出演者の顔などが懐かしく思い出されます。
最近のYICAの取組では、地域を生命体として捕らえて、その活性化の方策を考えながら事業を進めています。地域において市民の主体的な活動が盛んになるということは、ちょうど、私たちの体において免疫細胞の活動が盛んになるのと同じことなのです。いずれも地域と体という生命体を元気にしてくれます。どういうことなのかわかりにくいと思いますので少し説明します。
生命体は、基本的には次の3つのシステムによって体を維持しています。1つ目は「血管系」です。これは、エネルギーを体内に取り入れたり、老廃物を体外に運び出したりするもので、私たちの体では心臓、動脈や静脈などです。2つ目は「神経系」です。これは、多細胞である体を全体に秩序ある働きをさせるための情報伝達をするもので、脳、脊髄や神経などです。3つ目が「免疫系」です。これは、外敵が入ってきたときや癌細胞が生まれたときなどに、これらを退治して体を守る役割をするもので、T細胞やB細胞などの免疫細胞群です。
この3つのシステムは、生命維持ためにはいずれも欠くことができないものですが、体の成熟期においては、とりわけ、外部環境の変化に的確に適応して生命を維持し活性化していく役割を担う、「免疫系」役割が重要になってきます。(図表―1)
地域も、市民、NPO、企業などさまざまな細胞を擁する生命体です。そして体と同じように、維持し活性化していくためには、血管系、神経系、免疫系の3つのシステムが必要です。地域での血管系とは、道路、鉄道、下水道などのエネルギーの受給網です。神経系とは、光ファイバー、IDCなどの情報通信網です。
都市も、人間と同じように、誕生、・成長期・成熟期・衰退期という過程があります。国や自治体は、これまで、成長期の過程にあった都市に対して、この2つのシステムを中心に整備を続けてきました。しかし、現在、わが国の多くの都市は人口やGDPの成長が鈍化から横這い、の成熟期にあります。この成熟期にある都市おいて、過去の成長期の時と同じような血管系と神経系の整備を続けているだけではけっして地域は元気になりません。元気になるどころか、無駄なエネルギーの接種などにより、衰退してしまいます。成熟期にある体に必要なのは、「免疫系」の整備による細胞の活性化なのです。地域における免疫系の代表的なものとしては、生活の空間における、教育、環境、文化などの市民活動や地域コミュニティなどです。また、産業の空間では、異業種交流や産学連携、ベンチャー企業の創出システムなどです。
横浜インド文化交流会(YICA)も、横浜という地域を維持し活性化していく免疫系の1つとして、市民レベルでのさまざまな国際文化交流活動を行っています。(図表―2)
血管系や神経系が、心臓や脳を中心としたピラミッド構造であるのに対して、免疫系の特徴は、ネットワーク構造にあります。体のなかでは、T細胞、B細胞、マクロファージなどの免疫系のプレーヤーが、連携して機能をはたしています。そこでは多様なプレーヤーたちが、課題を解決するための情報をうまく出し合いながら生命を維持活性化しているのです。
地域においても、市民、NPO,企業などの免疫系のプレーヤーたちが、それぞれの能力を発揮しながらコラボレーションすることができます。しかし、そのためには、多様なプレーヤーたちが、情報を共有化して、共通の課題を認識すること。その課題解決のためにうまく能力を出し合いながら地域を維持活性化していくことが重要です。
そこで、YICAでは、最近の取組として、国際文化交流を担う市民団体や、産業団体とのコラボレーションに重点を置きながら事業を進めています。
横浜には、YICAの他に、インドとの国際交流を目的とした市民団体が2つあります。1つが、横浜ムンバイ友好委員会(事務局長ナリン・アドバニさん)、で、横浜の姉妹都市であるムンバイ市(かつてのボンベイ市)との交流をしています。もう一つが、日本ベンガル協会(事務局長:大場多美子さん)で、天心とタゴールとの親好100周年に設立され、環境教育をテーマとしたシンポジウムなど市民レベルでの交流を続けています。
YICAは、市民レベルでの国際交流の促進と地域活性化という共通のテーマをもった2つの団体と連携して、事業をすすめています。現在のところ、@タゴール自然と叡智の学校、A横浜インド祭、この2つの事業ついてに共同して取り組んでいるところです。その内容を紹介しましょう。
この事業は、日本ベンガル協会の大場さんやシャーカーさんたちとの出会いから始まったものです。ちょうどいまから一年前の9月に、横浜のみなとみらい21地区で、YICA主催のコンサートが開かれました。ベンガル地方の民俗音楽であるバウルのコンサートです。そのコンサートを応援してくれたのが大場さんたちでした。また、翌月の10月には、日本ベンガル協会理事のシャーカーさんが中心となって、日本とベンガルとの交流をテーマとしたシンポジウムが横浜開港記念会館で開催され、今度はそこにYICAが参加しました。そんな交流をきっかけにして、2つの団体の連携事業が始まりました。
タゴール(1861年生)は、アジア人として初のノーベル文学賞の受賞者です。詩聖として有名ですが、音楽、戯曲、小説、絵画、思想、哲学など、あらゆる面で優れた才能を発揮しており、インド国歌やバングラディシュ国歌も彼の作詞作曲です。その深い知恵と高い精神性は、多くの人達に多大な影響を与えています。
「タゴール自然と叡智の学校」は、タゴールの自然観・宇宙観を基本理念としています。彼は、自然の叡智の大切さに気づき、生涯伝承活動を続けました。また、東西の文化の融合や、世界の平和を祈りながら、世界各国を訪問しました。世界のリーダーたちにも大きな影響を与えています。「人生は自然の一部として繋がり、歓びに生きるものである」というウパニシャッド哲学を基本としています。
タゴールは、この自然の叡智を普及するため、インドのシャンティニケタンに自然を学ぶ学校を設立し、芸術、音楽、戯曲、絵画、舞踊、語学、自然哲学など、人間の真実の生き方を伝えてきました。シャンティニケタンは、タゴールが、彼の理想とする自由な教育を実践する学校を1901年に創立したのが始まりで、1921年には国立大学にまで発展し、今では、幼稚園から大学院まである学園都市となっています。
また、タゴールは、横浜生まれの岡倉天心と極めて近似した思想をもっていました。1902年にインド滞在中の天心がタゴールとはじめて出会って意気投合し、影響を与えあったのは偶然ではありません。ともに二人は自然を基本としたアジアの伝統に価値を見出したからです。
今から101年前には、岡倉天心と“Asia is one”を目指しました。地球規模の環境破壊や民族紛争が懸念される今、二人が目指した思いを、100年後の私たちが引き継ぎ、それから、これからの100年後に繋げていく必要があります。次の世代の人達に何を残すべきか、自然の叡智などについて真剣に考えることが、今、私たちに求められています。
「タゴール自然と叡智の学校」は、自然との繋がりの中で、尊い生命の素晴らしさをみんなと共有しながら、個々の創造性や芸術性を高め、自分らしさの気づきとともに、自分の才能が活かされた元気な人生、自分の能力がいかされた元気な地域づくりを進める場です。五感を通してこころと体全体で自然を感じる自然環境教育の場です。現在、大場さんを中心に市民団体が連携して、十月の開校に向けて準備に取り組んでいるところです。(図表―3)
ここでは、音楽、リズム、色、を使った新しい自然環境教育が試されます。講師は、ほとんどが2つの市民団体の関係者です。インド古典舞踊家の舟橋美香さん、インドアートのリアカッドアリさん、インド哲学の平井誠二さん、タゴール詩朗読の奥田由香さん、音楽の石田桃子さん、太鼓のマウデウジャパテさん、インドセラピのリーナーダナエさん、環境教育の高野政男さんと、「アジアはひとつ、地球はひとつ」との思いに多くの人達が参加しています。この学校に、次の世代に大切なものを残したいという気持ちが、集まってきているのです。
この事業は、横浜ムンバイ友好委員会事務局長のナリン・アドバニさん、(社)インド商協会理事のブイビー・ルパニさんとの、出会いから始まった事業です。
横浜は、インドの都市ムンバイと姉妹都市ですが、インドの都市と姉妹都市を結んでいる政令都市は横浜だけです。横浜は、ムンバイとの約四0年にもわたる長い交流の歴史があります。横浜ムンバイ友好委員会は、この間の市民レベルの交流の事務局を担ってきました。
また、歴史をひもとけば、横浜はインド商人がわが国で初めて営業拠点を設けた都市でもあります。今年、横浜は開港から一四四年になりますが、開港直後の四年後には、すでにインド人が商売を始めていたという史実があります。インドにとって、横浜が日本で初めての経済拠点だったのです。そのため、横浜開港後まもなく、インドの商人の集まりであるインド商協会が、現在の山下公園のそばに設立されたのでした。
この、二つの団体とYICA、それに日本ベンガル協会が加わった4つの団体の会合が、今年の六月に開催されました。場所は、山下町にあるインド料理の老舗、ティフィンです。テーマは、もちろん、団体間の連携と横浜の地域活性化についてです。
そこでは、インドの正月であるディワリのお祭りを、ぜひインドゆかりの地である横浜で開きたい。ディワリの前後に、バザールや、コンサート、舞踊公演など開いて、一大インド祭にしていこう。それも、一回限りでなく、毎年横浜で開催していこう。十月には、横浜でインド祭りがあることを、全国に発信していこう。ムンバイ友好委員会副会長の西村光弘さんからも、このお祭りを横浜のシティセールスに、地域活性化に繋げていこう、など、大変活発な意見交換が行われました。
そして、横浜インド祭の計画は、具体的な実行計画段階になってきました。
ディワリはインドの代表的なお祭りです。ディワリという言葉は“ランプを並べる”という意味を持っていて、光の祭りとも呼ばれています。インドでは、家の大掃除をして、1年の汚れを落とします。こうすることにより女神が家に幸福をもたらしてくれると信じられているからです。日本のお正月に大変似よく似ています。
インド人はみんなこの日のために新しい服やサリーなどを買います。この日に新しいものを着ることはインドでは絶対に必要なこととされているのです。ディワリの祭りの日には、新しい服やサリーを着ます。女性達はランゴーリ(カラフルな色粉)で家の玄関に綺麗な模様や吉祥な模様を書いたり、ディヤに灯をともし飾ります。夜になったらガネーシャとラクシュミーのプージャをします。ガネーシャは幸運を、ラクシュミーは富をもたらすとされている神々です。
このディワリの前後に、インド関係のイベントを横浜で開催することになりました。
10月を中心に、9月から11月の秋に実施します。インド古典舞踊公演、シタールコンサート、インドバザール、など、さまざまなイベントが目白押しです。まさに、インドを、聴いて 観て 触れて 嗅いで 食べて 五感で楽しむ 国際理解ボランティアイベントが横浜でされます。(下図表)
□横浜インド祭の行事予定(図表)
10月04日 | 蓮の華の照明づくりワークショップ | 横浜開港記念会館 |
10月19日 | インドディワリバザール | 山下公園 |
10月20日 | タゴールと横浜の繋がり | ラジオ日本ホール |
10月23日 | インド民族舞踊公演 | 西公会堂 |
10月26日 | インドコンサート | 情報文化センター |
11月08日 | コンサート | 横浜開港記念会館 |
11月10日 | セミナー | ラジオ日本ホール |
11月22日 | インド人と日本人によるしい現代絵画展 | みなとみらいギャラリー |
また、来年の3月には、インド映画祭を開催する予定です。
インドは、世界一の映画大国です。年間で、実にアメリカの倍以上の映画が制作されています。「ムトウ踊るマハラジャ」など、日本で大ヒットした映画もありますが、まだまだインド映画の良さは知られていません。YICAでは、5年前、インドと日本との合作アニメ「ラーマーヤナ」を日本で初めて上映して、大好評を得ました。
横浜はわが国有数の映画やテレビドラマの舞台都市です。みなとまち、開港の歴史など、地の利を活かして、映像文化都市を標榜しています。そこで、YICAは、インド大使館および国際交流基金などとの協力しながら、来春から、インド映画祭を横浜で開催することとしています。
日本のライフスタイルをみると、いまだ、欧米のライフスタイル中心です。こうした中で、「アジア文化の多様性」、が見直されてきています。また、経済を見ると、東アジア経済の相互補完関係は日に日に深まり、まさにアジア経済は一つという輪郭が浮き彫りになってきています。21世紀はさまざまな文化の多様性を包摂しつつ、改めてアジアの国々との連携を深めていく時代です。
横浜はインドに関する沢山の資源があります。タゴールが岡倉天心を頼って滞在した三渓園、山下公園の水のみ場、大倉山記念館、などインドにゆかりのある名所、旧跡も多く、さらにインド人商人の活動拠点、インド商協会も横浜にあります。また、インド人や、インド文化関係者の人が大勢住んでいます。まさにインド文化の宝庫です
横浜インド文化交流会(YICA)は、今後もこうした地域資源を活かして、市民やNPO、企業などの民の力を連携することにより、横浜らしい地域活性化を進めていくとともに、今後は、インドを始めとした南アジアの国々との交流を深め、この地域での都市間ネットワークの形成を進めていく役割を担っていくことが重要だと考えています。
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